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2011年11月19日 (土)

東日本大震災について

この度、東日本大震災により被害を受けられました皆様に心よりお見舞申し上げます。
被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り致します。

○東京で地震に遭遇
 この3 月11 日には私ほか2 名が東京におり、あの大きな揺れと震災直後の混乱の体験をしました。ほかの二人とは吉松(熊本営業所長)、前田です。

○建築建材展に展示
 3 月8 日から11 日の間行われた国際展示場での「建築建材展・国産材の魅力展」に、当社も出展しました。展示品などの運搬のため、鹿児島から車(プリウス)で行きました。
 今回の当社の展示・提案内容は次の三点でした。
 1. 国産材による公共建築物などの可能性(建築事例)
 2.これからの課題 集合住宅の木造化、その課題
 3.木造建築の耐久性向上のために全構造材をホウ酸処理

○大地震に遭遇
 展示会は当社コーナーへの訪問も多く好調でした。最終日の15 時から当社が考える上記三点について私が話す予定で、50 名近くの方が参集、主催担当者と打合せも済み、開始を待っているまさにその時突然の大揺れです。
 講演会の再開どころか展示会そのものも中止となりました。津波を警戒して暫く会場内高所に避難、その後展示品を撤去しました。すべての交通機関がストップとのアナウンスがあり、車で行っていた幸運を喜びました。

○会場からホテルまでの道中
 夕方5時無事会場を後にしたときはほっとしたものの、それからの展開は驚くべきものでした。すべての交通機関が停止したことによる混乱は甚だしく、歩道から車道にまで人があふれ出しています。交通警官が「歩道へ戻りなさい」と声を涸らしても、必死で誘導しようとしても平然と無視されています。私たちの車も一寸も動かず、唯一公共機関で運営されていたバスも同様でした。もし首都での震度がもう少し大きかったら、あの状態では緊急車両の通行も出来ず、その被害は想像を絶するものになったと思います。
結局ホテルまで約12km の距離に11 時間かかりました。

○驚くべき津波被害
 その後の報道で津波と原発の被害の甚大さ、悲惨さを知るにつけ、私たちが東京で味わった恐怖や難儀は雲散霧消しました。何という災厄が我が国を襲ったことでしょうか。
 被災地はまだ寒さが厳しく何もかも無い無い尽しの中で散乱している木材を薪として利用、暖を取り煮炊きしている人たちを映像で見て何か心が慰められました。

○今度のことで思うこと
 今度のことでいろいろ思ったことを以下に述べてみます。
1.「安全」のため交通機関をストップさせるのは、別のリスク要因になっていないか。平時の「安全」基準とは別に非常事態の「安全」基準が有ってしかるべきではないか。
2.緊急時に非常権限により強力な交通管制は出来ない物か。
3.家庭のエネルギー消費のうち給湯、暖房など熱利用が50%である。現在電力や化石燃料に過度に依存している。この状態から脱却すべきである。オール電化などもってのほか。薪利用や地域バイオマス熱供給も選択肢として考慮すべき。
4.瓦礫の何割かを占める木材から被災者が薪収集を行い、それをちやんと薪として活用する仕組みを作る。考えられる利点として復興コストが低減、被災者の仕事が生まれる、破棄される資源の活用になるなどのメリットが生れる。大型建設機械による建設解体作業に比較すれば丁寧な作業になり、個人資産や個人にとって大切な記念品の回収率向上につながると思われる。
5.知人の夫人がヨーロッパの人で、在京大使館からヨウ素剤の配布があったとのこと。我が国ではどうなっているのだろうか。(佐々木)

(発行 平成23年4月12日)