■鹿児島のおいしいもの 旬の味
○唐芋( さつまいも)
鹿児島の食を語る上で、さつまいもを外すことは出来ません。痩せた火山灰土壌、台風の常襲、それに恐らくは鹿児島独自の歴史的背景もあって、かつてはさつまいもを常食とする、あるいはせざるを得ない困難な食の事情がありました。
父の書き残した文章の中に、かつての生活を伝聞を含めて次のように記述しています(「執念」87 年発行)。
「明治の末頃だと思いますが、私の(祖父の)所帯は飼い馬とその世話をする人、作男、手伝い女、それに家族がいました。常食は大量のからいもと少量の米の混食です。」
「一年に二回くらい、白米のご飯にありつき、それは感激でした。それも、葬式とかお寺の資金作りのために催される「報恩講」という行事などの時だけです。」
(祖先は)「からいも郷士とか、ひしてベコと言われ、殆ど無給武士で、生活のために今日はコエタゴを担いで農耕し、翌日は剣道や槍の稽古に励むといった半農半武の生活」「貧困生活は少しも気にしない風習」「それでも子弟の教育だけは行き届いたもので」(以下略)貧しい中にかっての志操堅固な大隅人の気風がしのばれます。
○がね
鹿児島の精進料理では、煮染めと並ぶ定番のご馳走です。芋料理として傑作で、拍子木に切った芋と小麦粉の衣でかき揚げにしますが、ごつごつした感じが「がね(カニ)」に似ているのでこう呼びます。法事の際に手伝いのおばちゃんたちが大量に作るがね、まして昔は町の油屋で絞った菜種油で揚げて、黄金色に香り高く素晴らしいものでした。
○芋あめ
子供の頃の忘れられない思い出として、芋飴作りがあります。大量の芋をふかして麦もやしを入れます。発酵が終わったら布の袋で漉して、それを庭先にしつらえた臨時の大竈で煮詰めていきます。取り仕切り役のおばあさんが暗い中でタバコを吸いながら、焦げ付かぬよう一晩中つきっきりでした。
朝になると濃い茶色のとろりとした飴が壺や瓶に十本以上出来ていました。子供たちが争って箸を突っ込んで飴を巻こうとすると箸がポキリと折れるほど粘りの強いものでした。
所々に芋飴、醤油作りなどの思いもつかぬ名人のお年寄りがいて、そんな人を頼んで一年分の仕込みをしたのです。
○焼酎
鹿児島県の焼酎は芋が主体です。鹿屋市にある「大海酒造協業組合」の、今は亡き山下元理事長さんに工場を案内して戴きながらお話を伺ったことがあります。
私の記憶では次のような話でした。「米こうじ4トンに芋20トンで、一升瓶1万本出来る(当時これが同社の日産量)、これが麦の場合、米こうじ同じ4トンと麦8トンから同じ量の一万本が出来る。」「芋は生鮮食品なので、芋の収穫期である秋しか工場は操業できない。」「そこが乾物である麦とは異なる。」大いに「目から鱗」の話しでした。
芋の仕込みの際、欠陥部や小口などを実に丁寧に思い切って切取っているのに驚きました。昔自宅での大勢の宴会で、お燗に使った薬罐は洗っても洗っても焼酎のにおいが取れずに、辟易したものです。最近の芋焼酎がすっきりしておいしいのは、麹や発酵技術の革新に加えて、原料の芋とその前処理にも大きな要素があると確信したことでした。(佐々木)
さつまいもの花